今日、大切な人を看取った。
天寿を全うするにはまだ若過ぎるだろうとは思うが。

極めて常識的な人だったけれども、
自分が結婚する時も、会社を辞めて起業する時も、
散々文句は言われたけれども、最後は応援してくれていた方だった。


臥薪嘗胆(がしんしょうたん)という言葉がある。

自分の高校にはいくつかの高校独自の歌が何曲かあるのだが、
その中の一曲の歌詞に「臥薪嘗胆過ぎにし恥辱」という言葉が出てくるが、
この言葉を知ったのは、それが最初だと思う。

臥薪嘗胆とは、将来の成功を期して苦労に耐える意味で、薪の上に寝て苦いきもをなめる意からである。もとは敗戦の恥をすすぎ仇
あだを討とうと、労苦を自身に課して苦労を重ねること。復讐のために耐え忍ぶことであり、成功するために苦労に耐えるという意味を持つ、中国の故事成語である。紀元前6-5世紀のの国家間の戦争に由来している。

高校の友人以外から 、この臥薪嘗胆という言葉を聞いたのは、後にも先にもこの方だけである。

「田中さん、人間辛抱が大事だからね。臥薪嘗胆だからね。」

と言っていただいたのを今でも鮮明に覚えている。

人間、誰でも、上手くいかない時、自分がやっていることに自信が持てなくなる。
100回ドアを叩けば、ドアは開くかもしれないのに、99回で止めてしまう。
そして、当初は叩くドアではないドアを叩き始め、
それを繰り返すことで、往々にして自滅していく。

最初のドアを叩くまでには、その道を進む志があり、
それを支える考え抜かれた戦略と、仲間がいたはずである。 
でも、物事がうまく進まなくなるとすべてに自信がなくなってしまう。

そこを最後まで踏み止まらせるものは何か。

自分は以前から、「志」というものは、大上段に構えて振り回すものではなく、
胸に秘めておく程度でちょうどいいと思っている。

そして、その「志」としっかり向き合うのは、自分の正しさが信じられなくなった時だ。
もっと具体的に言えば、これも中国の古い言葉らしいが、

「あなたが本当に本当に困ったり迷ったりした時は、最後に頼りにする人に会うべきだ。
鏡に近づけばその人に会える」 

ということなんだと思う。

そして、自分も結果的に、打開策のヒントを思いつくのは、
不思議と「髭を剃っている時」が多いことを考えると、
なるほどなあと思う次第である。

そして、改めて、人と別れるということを噛みしめる夜。

別れるということ

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