一年の報告をするために、母の墓参りに行った。

母は乳がんを患い、
何度か手術をしたものの、結局取りきれず他界した。
あれから7年半が経つ。私は一人っ子だった。

当時、大学院の企業家リーダーシップとグローバルリーダーの合宿が、
1週間空けて続けてあった。
たまたま偶然だろうが、母はその間の1週間に亡くなり、
実家の福岡でお通夜、葬式を行い、慌ただしくGLSの合宿に間に合わせた記憶がある。
私は安らかな顔の母のとなりで、翌日締切のENLのレポートを書いていたツワモノだった。

父は分家だったので、新たに母のお墓を建てなければいけないのだが、福岡に建ててしまうと私が墓参りに行くことが少なくなってしまうため、父を説得して、ある方の紹介で普段は檀家を取っていない、この長泉寺の檀家にしてもらった。
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仕事の合間でも行けるので、やはり無理してでも都心にして良かったと思っている。


晩唐の詩人である于武陵(う ぶりょう)の「勧酒」という五言絶句がある。
井伏鱒二氏の訳が有名だ。

この盃を受けてくれ 
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ

元の漢詩は

勧君金屈巵 君ニ勧ム金屈巵(キンクツシ・金の盃)
満酌不須辞 満酌辞スルヲ須(モチ)イズ
花発多風雨 花発(ヒラ)ケバ風雨オオシ
人生別離足 人生別離足(オオ)シ


人生には別れがつきものだ(さあ、くよくよせず飲み干したまえ)
という意味だ。
友人との別れに際し、悲しむ友人に別れの酒を勧めながら作った
とされている。

「さよならだけが人生だ」とは、絶妙である。

人生とは別れることなのだ。


人の別れにはいろいろなものがある。
いずれかが死ぬという物理的なものもあれば、
精神的なものもある。

夫婦、恋人、友人、場合によっては取引先もあるだろう。

この10年ほど、ずっと自分を騙しながらお付き合いしていた人がいた。(男女の話ではない)
しかし、この秋に自分の気持ちとして、精神的に別れた。
その理由はここでは書かない。

かなり悩んだので、しばらくは大変だろうなと思っていたが、
案外、そうでもなかった。
不思議とそのあとにタイミング良く、新たな出会いがあるものだ。
なるほど、人間、手は二つしかない。

人は多かれ少なかれ制約の中で生きている。
いや、生きることが永遠でない限り、
生きていることそのものが制約なのだ。

そして人はいつも自由になりたいと思っている。
そうしたらもっと輝けるのに、と。

でもそれは違う。
制約があるからこそ、人は輝ける。
別れがあるからこそ、一緒にいた日々が冴え渡るのだ。

恋仲に限らず、親、友人、取引先との別れ際を見ていれば、
その男が本物か否かが、概ね分かる。別れ方が綺麗な人は、
全てを自分の中で受け止められる人だ。そして決して他責にしない。

人にしがみついてはいけない。

別れるには力がいる。
別れのそばには、いつも悲しみや怒り、そして憎しみが横たわっている。
しかし、それを黙って拾い集めて、明日も平然と生きていくことで、
人はさらに一回り成長出来るのだと思う。

出会いがあれば必ず別れがある。
いつかはその人との別れがあることを分かったうえで、
付き合っていくことこそが、人生を豊かにする術なのだと思う。

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