エグゼクティブ研修「知命社中」のモジュール3が昨日終わり、そのリフレクションと自分の価値観とのポジションを解消するために、新宿御苑に来た。


















例によって、合宿研修はそのインプットとアウトプットの量が尋常でなく、
消化不良(これを違和感という)を解消するタスクのために、四季折々で気付きを与えてくれる、この場所は最適である。

今回は、グローバル企業をケースとして、結果的に「日本的」という言葉をどう受け止めるかに収斂した。

今回刺さった言葉は、

・時間は未来から流れて来る
・「引くこと」から魅了する
・「勝ち」の定義を定める
・今、正しいと思うことを正しくする

である。

時間とは過去から現在、未来へ流れて行くだけではないという投げかけであり、
ここでのコンテクストは情緒的という意味合いだったが、
映画「ターミネーター」の概念は一貫して、未来から現在に降りて来ている。

また、「押す」というコンテクストに対しての、「引く」も従来からプッシュ型、プル型というマーケティング用語もあるわけで、「引く」が特に日本的かというと、疑問の残るところだ。

一方で、協調性、予定調和、自己犠牲、精神的、空気を読む、擦り合わせというキーワードは従来から「日本的」と言われており、そこに違和感はない。

大切なのは
この「日本的」なものを、どう受け止めるかだろう。
確かにこれからのグローバル化経営を行う上ではこれらのことは制約要因になるとは思うが、過去においてこの日本的な考え方があったからこそ、明治維新以降、ここまで発展した事実は重く受け止めたい。

Brexit、トランプ後の世界など、
明らかに従来からのグローバル化の流れとは逆行する判断軸を考慮せざるを得ない中で、いつまた「日本的」な考え方が、マッチングする時代が来る可能性も否定出来ないわけである。

もちろん過度に「日本的」を評価する必要もないが、今、「日本的」なものを「ネガ」として排除して行く考えには明らかに違和感を覚える。

ここは前回書いた「合理と情理」の話を含めて、自分の経営イシューとして、
大きな問いになりそうな気配になってきた。

経営者として「軸を持つこと」 ~ 合理と武士道について :


私の事業はファンド事業、投資銀行事業だ。
そしてその意思決定の軸は「武士道」だと書いた。
この究極の矛盾を両立させることが、

「自分が自分として生きる」

ことだと思い始めていた矢先の話だった。

普段は経済系のエントリーを書くことが多いが、
多かれ少なかれ、文章を書くということは「自分を掘ること」である。
そしてそれは「心の壁打ち」なのだ。

まだまだ、心のラリーは続きそうである。

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Hiroの投資銀行サロン