昨日は経産省主催のCOOL JAPAN TOKYO CONFERENCE に参加してきました。
テーマは「COOL JAPANを日本が再発見する。」です。


セッションは4つあり、クリエイティブディレクターの佐藤可士和氏、建築家の隈研吾氏、カフェカンパニー代表の楠本修二郎氏、ATカーニー日本代表梅澤高明氏、演出家の鴻上尚史氏ほか、著名な方々がCOOL JAPANをテーマにディスカッションを行ないました。

「そもそも日本人は日本を過小評価し過ぎでは?」
「COOL JAPANである為のマネタイズの行政施策としての構造的課題がある」
「日本食の「旨味」という感性がキーワード」
「コンテクスト作りがブランド作り」
「認められたいのであれば評価軸を出してプレゼンする」
などいろいろと参考になりました。

ただ、今回自分が一番心に響いたのは基調講演された松岡正剛氏の
「対極をなすものを同時に受け入れることで発生する美意識」です。
Coolはスマートという意味であり、日本語でいえば「いとおかし」「いとあはれ」。

儚い(はかない)という字は人が夢をみると書きますが、これ「はかどる」という効率的な意味の反対の効率的でない意味も持っており、あえて日本人はこの「はかなさ」をも受け入れることで対極の価値観を醸成していったということです。
松岡氏はこれを「デュアルスタンダード」と呼びました。デュアルであることが大事であると。突き詰めればCOOL JAPANであるためには演じる、コンテンツ・サービスを提供する側を受け入れるマーケットが必要であるとおっしゃっていました。
なるほど。奥が深いです。

私も世界に通用するコンテンツ・サービスを提供する日本企業を海外展開させるべく投資を行っていますが、この「デュアルスタンダード」は投資する場合の重要な一つの判断軸であるなと感じました。

そして最近はあまり議論になりませんが「会社は誰のものか」という話の時に、我々はフィナンシャルバイヤーですから、「会社は株主のもの」という明確な立ち位置に立たざるをえません。一方で「会社はステークホルダー全体のもの」という考え方が対極をなすものだとすれば、その議論が起きること、いわゆる対極の理屈も認めるところが日本特有の文化なのかもしれません。少なくとも、欧米でこの議論はほとんどない。日本企業を投資対象としている以上、私はファイナンスというロジックの極致をベースにしながら、「儚さ」をも理解し、受け入れていく懐の深さを自分なりに醸成していく必要があります。それがこれからの課題かもしれません。

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